仙台に居つづけたからこそ
今の自分がある。
舞台に立つプロとして
想いはレーサーに通じるね。

若い人ほど熱くなる、それがボートレースの魅力

「青葉城恋唄」、誰もが耳にした名曲を歌い続けてきたさとうさん。シンガーとしてデビューした頃から、今も住む仙台でボートレースに熱中していたそうだ。近年は、ボートレース場で歌を披露されることもしばしば。コンサートで全国を巡る際には、各地のボートレース場にも足を運ぶというほど。

「20代の頃、公営競技の中で宮城県に一番最初にできたのがボートレースチケットショップでした。仲間と週に二・三度は行きましたね。時には、群馬県のボートレース桐生まで何時間もかけて車を飛ばすこともあった」と、やさしい眼差しで懐かしそうに語ってくれた。

仙台には今、野球・サッカー・バスケットボールと3つのプロスポーツが根付いている。三者三様の楽しみ方があるが、その中でもボートレースの魅力は、バスケットボールに似た感覚があるという。「ファンファーレが鳴って、スタートするまでの駆け引き。第1ターンマークでの一瞬の勝負。そして最後の1秒までなにが起こるかわからない期待。ボートレース特有の戦いには、他では味わえない興奮があるよね。若い人ほど、きっと熱くなるんじゃないかな」と、仙台とスポーツへの愛が伝わってきた。

もし、さとうさんがボートレーサーだったら?という問いかけには、やわらかな笑顔とは対照的に「がんがん攻めます」という言葉が返ってきたのが印象的だ。

ステージですべてを魅せる。レーサーと通じるものはあると思う

ボートレーサーは現役生活の長いスポーツ。一方で、さとうさんも2018年にデビュー40周年を迎える大ベテラン。長く現役を続ける上で大切にしていることを伺った。「私の場合は常に自然体でいること、それが生き方。かつて、テレビドラマで教師役の話をいただいた時も『さとうさんそのままで、やってくださったらいい』というのが殺し文句だった」と教えてくれた。それでも、キャスター・俳優と幅広く活躍する自身の中心にあるのは「シンガーさとう」だという。「ステージングが絶対。その絶対にかける気持ちは半端なものではないよ」と力強く語る目は鋭い。

「ステージに立てば、現在の『さとう宗幸』が持っている全てを見て聞いてほしい。今でも、緞帳が上がる寸前まではドキドキしながらそれを待っています。ボートレーサーは、一瞬を競う戦い。舞台は違うけれども、自分が出せる絶対的なパフォーマンスを見せてやろうという想いは、プロとして通じるものがあるでしょうね」。

だからこそ、LIVEで伝わってくる熱い水しぶきを、ぜひボートレース場で体感してほしい。水面を駆けるように、その想いが迫ってきた。

東北エリア 宮城県代表 さとう 宗幸

さとう 宗幸MUNEYUKI SATO

1949年1月25日生まれ、宮城県古川市(現・大崎市)育ち。仙台市在住。1978年「青葉城恋唄」でデビュー。1981年ドラマ「2年B組 仙八先生」をはじめ、1995年より司会を務める「OH!バンデス」など、多岐にわたり活躍。社会貢献活動にも積極的に参加している。2018年にデビュー40周年を迎える。

東北エリア 宮城県代表 さとう 宗幸

宮城県データ

  • ボートレースチケットショップ

  • 出身レーサー

    5人

※出身レーサーは、2016年10月31日時点